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評価の確立

北海道旭川市の家具産地としての評価が確立されたのは昭和30年代から40年代頃のことで、洋服箪笥、和箪笥、整理箪笥という、いわゆる「婚礼家具」を中心に、日本中へ進出してゆきました。

北海道旭川市の家具産地としての評価が確立されたのは昭和30年代から40年代頃のことで、洋服箪笥、和箪笥、整理箪笥という、いわゆる「婚礼家具」を中心に、日本中へ進出してゆきました。

激動の時代

箪笥などのいわゆる「箱もの」から椅子などの「脚もの」中心への転換、また「デザイン性を高める」ということが旭川家具業界全体で重要視されるようになりました。

しかし、昭和50年代頃からこうした婚礼箪笥の需要は突如激減し始めました。造作の収納が登場し、人々のライフスタイルが箪笥からクローゼットへと変わったためです。そこで、箪笥などのいわゆる「箱もの」から椅子などの「脚もの」中心への転換、また「デザイン性を高める」ということが旭川家具業界全体で重要視されるようになりました。

そして国際家具へ

国際的な家具のデザインコンペティションを通じ、世界の優れたデザイナーが旭川に集結、これが旭川の家具業界にとって大変な刺激となり、作り手側のデザインマインドは更に向上してゆきました。

この流れより、平成2年、「国際家具デザインフェア旭川」が開催されることとなり、以後も3年に一度の頻度で開催されています。国際的な家具のデザインコンペティションを通じ、世界の優れたデザイナーが旭川に集結、これが旭川の家具業界にとって大変な刺激となり、作り手側のデザインマインドは更に向上してゆきました。

旭川家具のこれから

日本国内の健全な企業で丁寧に製造される旭川家具は、これからの新しい時代にマッチしているのです。

平成15年頃より、旭川家具センターはショールームとして力を入れ、地域に向けてフェアやイベントなど広報活動も行ってきました。こうした取り組みが身を結び、旭川家具はメディアなどに多く取り上げられるようにもなりました。バブル崩壊後、海外で大量に作られていて安価なものというのが好まれる時代が長く続きましたが、現在は作り手の姿が見えない製品は嫌われる傾向にあります。日本国内の健全な企業で丁寧に製造される旭川家具は、これからの新しい時代にマッチしているのです。

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